音楽に欠かせない音符を作った人で、楽譜の作成者でもある人物とは?

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子供のころに、「ドレミの歌」を歌って音階や音名を覚えた人も多いでしょう。小学校の音楽の教科書からは音符も登場します。音符があることが当たり前のようになっていますが、もしも音符がなければ、音楽を教えたり教わったりすることはとても大変です。世界のスタンダードとも言える音符は、一体誰が作ったのでしょうか。

音符とは?

音符は、音の高さと長さを表す記号です。5本の線からなる五線の上に配置され、形によって音の長短を、置かれた位置によって音の高さを表します。4分音符は符頭と符幹からできており、符頭を「たま」符幹を「ぼう」と呼ぶこともあります。8分音符の符幹に付く「はた」は、符尾と言います。書物によっては、符幹と符尾をまとめて「符尾」と呼ぶことも。

音符の音名は「ド」から「シ」までの7つで、イタリア語の読み方です。音符が低い音から高い音へと並んでいるのが音階で、「ド」から「シ」までが1オクターブです。五線が数段ある五線紙に音符や音楽記号を書いたものが楽譜(五線譜)で、五線の区切りを小節と呼びます。1小節の中に4分音符が4つ入るのが4/4拍子で、4分音符1つが一拍になります。音符には符頭が塗りつぶされておらず、符尾を持たない全音符もあります。全音符は、4/4拍子では4拍の長さです。

最初に音楽理論を研究したピタゴラス

「ドレミ」という呼び方が発明されたのは、音階ができてからずっとあとのことです。音階は、古代ギリシャで音楽理論を研究していたピタゴラスによって考え出されました。ピタゴラスは一般的には哲学者や数学者として知られていますが、1オクターブを7つに分割する理論を確立したのもピタゴラスです。この理論はグレゴリオ聖歌にも受け継がれました。グレゴリオ聖歌はグレゴリウス1世の名前にちなんで付けられたローマカトリック教会の単旋律の聖歌で、音楽理論上も重要な意味を持っています。主として、ラテン語で書かれた旧約聖書の「詩篇」に曲を付けたものです。

音符はいつ誰が発明したの?

音符の音名「ドレミ」がイタリア語の読み方であることからもわかるとおり、音符を作った人は11世紀前半のイタリア人。都市国家アレッツォに住んでいたグイード・ダレッツォです。グイードはカトリック教会最古の修道会である、ベネディクト会に所属する修道士でした。当時、歌は口伝えで伝えられており教会も例外ではありませんでした。グイードは聖歌隊員が、何百もあるグレゴリオ聖歌を覚えられるようにと音に名前を付けました。利用したのは「聖ヨハネ賛歌」です。この聖歌の1節から6節までの各節の頭の音が、音階の1つの音で始まり、1音ずつ順番に上がって行くことを利用したのです。グイードは各節の頭の、歌詞の最初の音を音の名前として転用し「ウト・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」としました。このことから最初の音符は、現在とは全く異なる形をしていたことがわかります。

歌詞の都合上グイードが名付けた音名は6つしかなく、最初の音は「ド」ではなく「ウト」と表記されていました。やがて「ウト」は、支配者や主を表す「Dominus」の「ド」の音に変化したと言われています。後に、ラの上の音をもう一つ当てることとなり、「シ」の音が加えられました。

さらに、グイードは1オクターブに含まれる半音「ミ~ファ」「シ~ド」に注意を促す意味で、歌詞に線を引くことを定めたといいます。これが五線(楽譜)の始まり。はじめは半音注意を表すための線であったものが変化していき、13世紀には五線譜の楽譜となります。このように、グイードは音符とともに楽譜の作成者でもあり、初めて音を書き留めることに成功した人なのです。

聖歌を歌うために発明された音符

1オクターブを7つに分割するという音楽理論は、古代ギリシャの哲学者ピタゴラスによって考え出されました。音階に名前を付け音符を作ったのが、11世紀前半に活躍したカトリック教会の修道士グイード・ダレッツォです。半音に注意を促すために歌詞に引いた線は楽譜のもととなり、やがて五線の楽譜が誕生します。音を書き留めるというグイードの発明は、音楽の世界に革命をもたらしました。

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